カート
0

マギー・マランの「May B」を観て

 

1980年代フランス・ヌーヴェルダンスの旗手マギー・マランの代表作『May B』を埼玉会館で鑑賞した。

見たいと思いながら20年数年。満を持しての鑑賞だった。昔の私にゃ到底理解出来なかったものがあった。

私は50歳。老いや衰えを感じ始める年齢だ。瞑想したり、宗教を意識したり。リアルな孤独を想定したり。祖母が晩年に聖書の勉強会に熱心に通ってたことを深く受け止めるようにもなった。

マギーマランの『May B』のはじまりは暗黒の中に流れるシューベルト『死と乙女』。一分以上続く。非常灯すらない暗闇だ。私は完全な孤独を体感する。そして舞台は始まる。

従来の美しいダンサーなど存在しない。舞台は薄暗い照明下で白い粉が埃のように舞う中、老人たちや障害のある人があらわれ、人間匂さプンプン漂う動きをする。香り高く濃厚。脳裏に焼きつく。

『May B』はサミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」の影響を受けているという。ノーベル文学賞をも受賞し不条理演劇なるものを確立した作家ベケット。詳しく知らないので調べてみる。第二次大戦後に人間の不条理さを解いたということを考えるだけで底知れぬ奥深さを想像せずにはいられない。

マギーはいう。「私は彼が小説や演劇で描いたハンディキャップを抱えた身体、不自由な身体に基づくダンスの創作に取り掛かった。これが『May B』の冒険の始まりでした。」

身体は衰える。人生の折り返し地点をすぎ、私は死に向かうリアルな孤独を受け止められるのか、舞台を観てそのことをより考えさせられた。このことは誰とも共有できず、また誰もが同じ不条理下にある。私は自分の中で私の死を受け止めながら、人間臭く舞えるものなのか。もちろん、強くしなやかな身体を持ち続けたいとは思うが、循環する生態系の中で朽ちる身体を賞賛し愛でるられるほどの強さと知性が欲しい!

「何世紀も前から変わらないこと、つまりこの地球という惑星で、共に生きていかなければならない私たちの生の厄介さがそこにはある。他者の存在が心底鬱陶しいことがあっても、一つの土地を、さまざまな事物を共有しなければならない人間の生の条件。そこに普遍性がある。」マギー・マラン

ダンスは最強だな。20数年越しに観れてよかった。今観てよかった。

それにしても、老人を演じている豊かな表現力のダンサーだちが素晴らしかった‼️拍手