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ゲルハルト・リヒター展へ


(「4900の色彩」の前で)

現代美術の巨匠と言われるドイツの画家ゲルハルト・リヒター展へ行った。

現代美術などは頭を空っぽにして森林浴するが如く色を浴びに行くのが好きなのだが、巨匠とよばれるこの画家に関しては予備知識が助けれくれるかもと少しだけ予習して出かけた。

 【予習内容】
①リヒターは第二次対戦を東ドイツで経験し、今もなお活躍している画家
②「絵画と写真」両方の視点から平面芸術を追求している点が重要らしい

さてさて、、、

私の近況に話は飛ぶが、3月の個展を終えて以来「革でぼんやりとした表現はできるか?」で頭を悩ませている。日本画のたらし込みや絵の具の滲み、朧げな淡い優しい風合いには何とも憧れてしまう。でも私が今扱っているのは革。どうしてもグラデーションを味わいたくて、ついにアクリル絵の具の好きな色を買ってきて、筆は使わずに(使い方がよくわからないので)ヘラですり伸ばして遊んで気を紛らわせている。


結論からいうと、憧れのグラデーションに辿り着くためには革を細かいドットにして、段階的、規則に従ってカラーピースを変化させるほかない。
かくして私は5mm四方くらいのダイヤの革ピースを日々並べる時間を過ごしている。


リヒター展の会場に入る。

色について色々知りたくて、前々から期待に胸を膨らませていた。そして展示室に入った途端、まるで小学生が色彩の研究所に遊びに来たかのような境地になった。迫力ある色彩美に交感神経たかぶるばかり。予習なしで色を浴びにくるだけでも十分な豪華さだと思った。


(「アブストラクトペインティング」 2016年 )

鏡の反射を駆使した作品、写真を模写した絵画、ステンドグラスに使われた色達、ガラスに塗られた作品、写真を模写したものを撮影した作品、、、目も頭も情報量が多過ぎて眩暈がしそうになる。 

一方で、胸の高ぶりが止まり、考えさせられる作品も展示されている。

『ビルケナウ』という目玉の作品は、大きな4枚の油絵からなる。大きな展示室の右側壁にはシリーズ全4枚。左側壁にはそれぞれの絵をデジタル写真で撮影&実物大に印刷し、対応する絵同士が向かい合わせに4セット展示されている。真正面は壁一面がグレイの鏡になっている。どうやらこれも作品らしい。展示室に入ると真正面のグレイの鏡に映る自分の影の両脇にはシリーズのオリジナルとデジタルプリントが並ぶ。鏡の中は部屋全体が映り込み左右対称が際立つ。

 黒白グレーのこってりとした絵の具に原色の赤、緑などの色も加わり、でかいヘラで一気にパンにバターを塗るように引きずり伸ばしたら、地層が現れた!というイメージ。何とも重苦しい、がしかし引き摺られてできた薄い絵の具の膜は美しいグラデーションを作り出していて、色彩美に目を奪われる。

 実は予習した内容によれば、この下にはアウシュビッツのビルケナウ強制収容所で撮影された4枚の写真を模写した絵画が眠っているというのだ。

どうして塗り潰したのだろう?

 残酷な歴史事実を厚い、厚い油の層で封じたかったのかな?
第二次大戦下無力であった絵画芸術に対する反省なのか?
ヒトラーが嫌った抽象絵画を意図的に描いたのかな?謎は深まるばかり。


事前情報がなければ「ビルケナウ」のタイトルの意味がわかるわけないでしょう!とも思ったけれど、それには意味があるはず。美術館の展示方法もかなり意図的なものを感じた。底には何も眠っていない薄い写真。4分割にしても構わないデジタル写真。違いは何なのかい?とリヒターさんが語りかけてると勝手に解釈いたしました。がやはり謎が深まるばかり。

 色彩や形、質感。それって一体何なんだろう?と問うてくる作品がいくつもあった。スマホの画面ばかり見ている私たち。スマホの画面は視覚的にどういうものなのかを数十年前から知り尽くしていたリヒターさんが、あえて今、皆に向かって視覚とは何かを問い直す機会を与えてくれているのかもしれない。

 美術鑑賞後の情報量が多過ぎたせいか、感想が言葉として何も出てこなかったその夜、脳内興奮し過ぎて明け方まで眠れなかった。改めてもう一度見に行くべき個展であること間違いなし。