八雲にて ― 徳川義親と農民芸術

東京を拠点に活動している私が
北海道二海郡八雲町で革の作品展の機会をいただいた。
そして一ヶ月の会期を先週末に無事終えた。

きっかけは、八雲町でギャラリー「KODAMADO」
を営む青沼千鶴さんとの出会いだ。
アートを心から愛する彼女のもとには、
全国から不思議と作家たちが集まってくる。
八雲という土地が持つ磁場のような力が、
彼女を介して人々を呼び寄せているにちがいない。
この展示を機に、私は初めて八雲町の歴史に深く触れた。
徳川義親――尾張徳川家十九代当主。
彼がこの地で開拓を行い、
「農民芸術運動」を興していたことを、
郷土資料館や文献から知った。
義親は上流階級に属しながらも、
権威ではなく豊かな人間の住む街
をつくろうとした人だった。
過酷な開拓の只中で、
人がいかに心の豊かさを取り戻せるかを考え、
農民に木彫や工芸を奨励したという。
開拓は凄まじく過酷だったはずだ。
逃げだしたくなる人もおられただろう。
けれどそれを引き止められるのは、
豊かな心で暮らせる場。
彼の行いは単なる副業ではなく、
芸術を通じて生を再び温める試みだった。
1920年代――ヨーロッパではバウハウスや
素材の構造美を追求したロシア構成主義が花開き、
日本では柳宗悦が民藝運動を始めたころ。
その同じ時代に、北海道の片隅で、
義親は“生活の中の美”を見いだそうとしていた。
開拓の歴史の中にそのような芸術的志が芽生えていたことに、
深い感動を覚える。
滞在中、とある八雲町の酪農家さんのお家を訪ねる機会があった。
静謐に整えられた室内には、木彫熊の作品、
古書や骨董、丁寧に保存された資料が息づいていた。
ひとつひとつが手で触れられ、
語りかけるように置かれている。
ご夫妻の話も丁寧で説得力があり、
芸術への敬意が生活の中に根を張っているのが感じられた。
八雲には木彫熊がある。
それは義親が1921年頃、
スイスで見た「ペザント・アート(農民美術)」
をもとに導入したものだ。
先日NHKの「家族に乾杯」という番組で
俳優の杏さんが訪ねた場所、
ブリエンツはまさに義親が訪れた町でもある。
彼は冬の副業として木を彫ることを奨励し、
完成品を買い取る制度を整えた。
その結果、農民たちの間に手仕事の文化が芽生え、
やがて観光土産としても知られるようになったという。
生活を芸術へと昇華させる力への信頼がなければ、
こんなふうに継承されていかないだろう。
私は革を扱う者として、いつも思う。
芸術は一次産業に限りなく近い。
(そうであって欲しい!)
生きるための営みそのものだ。
自然との向き合い方が作品に現れるというより、
自然との関係をいったん抽出し、
形に結晶させたものがアートであり、
収穫物でもある。
八雲に集まる作家たちの作品には、
まさにその“大地のエネルギー”が渦を巻いている。
熊への眼差しもまた、その渦の一部なのだろうか。
木彫熊の巨匠・柴崎重行の作品を見た。

初期は写実的で緻密(写真左の熊)
誰もが才能を感じ取れるような精度だったが、
やがて荒削りとなり(写真右側)、
最後にはピカソのキュビズムを思わせる多面体の熊へと至る。
(本当にただの多面体!)

(↑抱っこしちゃっていいんですかー!!!)
写実から抽象へ
人間の精神が素材を超えて
自由になっていく過程のようではないか!!
この流れを何と呼べばいいだろう。
「八雲の手の系譜」――かな。
自然と人、労働と芸術が折り重なり、
同じ手の中でつながっていく景色は、
何とも美しい。
その静かな熱のようなものを、
私は革に刻みたいと思っている。
おまけ↓
アンパンマン仮装中の千鶴さん着用の
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