カート
0

内藤礼「生まれておいで 生きておいで」

つくる喜びを共有し賛美する空間

先人たちが「つくって」きた所蔵品が十数万と眠っているのが東博こと東京国立博物館だ。

今、内藤礼「生まれておいで、生きておいで」展が開催されている。

 

ずっとこの展覧会を心待ちにしていたがこの猛暑…。

思い切って上野の東博までやってきたのだが、その感想はというと。

 

内藤さんの表現する世界の精密さや繊細さ、
作品の巧みな力により無意識の内に沈潜にひきよせられた。

さらに時間が立てばたつほど余韻で心情が揺さぶられてゆく。
展覧会で圧倒されることなど滅多にない。
間違いなく私の記憶に残るものとなるだろう。

 

例えばこんなことがあった。
ガラスケースの中には古い土器や木片などが一つずつ入っている。
その上に石、ドローイング、ちょっとした毛糸、木片などがおいてある。
なぜだろう、優しさが伝わってくる置き方だ。
ポツンと緑の毛糸の切れ端が丁寧に置かれていたのが目に入った。
「つくる」行為を発動させる源は慈しむ気持ちなのではないか。
情緒と呼んでもよいのかもしれない。
それほど優しく丁寧に置いてあった。

 

心の形が見えているこの感覚。一生忘れないだろう。

 

展覧会の紹介文に内藤さんが縄文の土製品をみて
「そこに生の内と外を貫く慈悲」
を感じたと記してあった。
作家の思い、あるいは世界観が身体感覚として伝わってくる、
内藤さんの作品はそんなマジカルな装置となっている。

 

内藤さんの世界には、情緒のようなものが時を超えて境界線を超えて存在する。
私もまたそれに包まれている心地。
天井から吊るされた粒々は永遠に宇宙を取り巻く慈愛のエキスのように思えた。
否が応でも沈潜にいざなわれてゆくこの空間。

 

「つくる」行為を遥昔から行ってきた人類。
私もまた「つくる」ことに生きがいを見出し、
「つくる」ことで他者や自分を喜ばせたり愛しんだりしている。
博物館で過去からのまなざしをこれほど強く感じたことはない。
いつの間にか、私は彼らと「つくる」喜びを共有し、賛美していた。

 

アイヌ刺繍の津田先生という方がおっしゃっていた。
赤ちゃんの半纏を縫い終わった締めくくりとして、
藍色の布の背中に赤い糸で一指し模様を入れてホッとしたという。
先生によれば、アイヌ刺繍の紋様は特定の意味はない。
ただ気持ちをこめて、結界を作ったり祝福したりする。
それだけでいい、意味は言葉にする必要などない。

 

好きだった祖母や母の刺繍もまた然り。
お花の刺繍は可愛さに慈愛がプラスされているから愛おしいのだろう。

 

我らの指先は慈悲や慈愛を形にする魔法で満々ちているのかもしれない。
人間を賛美したくなるそんな時間をもらたす展覧会だった。

______________________________

内藤さんへのインタビューの下りを共有したいと思います。↓

 美術手帖プレミアムインタビュー 内藤礼

 ものに意味を見出し、選び、配置している。物語をつくっているんです。
例えば貝殻を数枚重ねて伏せて、骨のそばに置く。
そこに意味を見出すのが人間で、それは何も変わらないんだと驚きました。

──数千年経っても変わらないものが、いまも続いているということですね。

 

 そう。生きるために、私たちは意味を、物語を見出しているのです。
あるいは死者を弔うために。あるいは他者のために。

______________________________