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謹賀新年2025

新年あけましておめでとうございます。

 

どんなお正月をお過ごしですか?

私は7誌の新聞を

たらたら読むのが恒例になっています。

 

ここ数年、「言葉とアート」について

よく考えるようになりました。

  

昨年ご逝去された谷川さんは、

たくさんの詩を綴られました。

生きた言葉として

永遠受け継がれてゆくでしょう。

 

私が触れたのは

数少ない詩ではありましたが、

紡ぐ言葉の一つ一つ、

静かで小さな音の中に

宇宙の果てまで届くような

鋭い力が宿っていました。

 

"生きた言葉"の持つ底力。

それが谷川さんの詩です。

 

私たちは日常の中で言葉を使いながら、

どれだけその奥深さを意識できているのでしょうか。

芸術や創作に携わる身として、

言葉が持つ力を再認識し、

それをどのように表現に活かすべきかを

考えるようになりました。

 

一昨年、アーティストの友人が

エッセイを書き始めたと聞いたとき、

芸術とステイトメント

を述べることの重要性について

私は考えていました。

そのときの会話は、

私の中で大きなインスピレーションを

もたらしました。

 

芸術が言葉を超えた存在であると同時に、

鑑賞者や自分自身の解釈を深めるためには

言葉が必要であることに気づかされたのです。

 

昨年、高井戸芸術祭に参加した際、

お客様と直接交流する機会がありました。

そのとき、自分の作品について

十分に説明できなかったことが心に残っています。

 

作品そのものが語る力を持つとしても、

それを受け取る鑑賞者の視点に立ち、

扉を開ける手助けをすることが必要だと感じました。

 

芸術は、言葉の代わりに存在するものでありながら、

心を揺さぶる何かに巡り合ったとき、

それを心に刻み、

未来へと蓄積するためには

言語化が必要です。

 

美しいものや感動を

引き出しにしまい込むように、

私たちは言葉を使って

それを保存するのです。

それは、言葉の力で感動を形にし、

自分の中に留める作業とも言えます。

 

偶然にも今朝の新聞で

恐山菩提寺院代の南直哉(じきさい)さんが

こう述べておられました。

 

「感情というのは液体だと思います。

器に入れないと、

その重たさも色もよく分からない。

自らの感情に意味をあたえるためには、

器すなわち言葉が必要なのです」

 

谷川俊太郎さんの詩は

美しくぎっしり詰まった

お節料理の重箱のよう。

 

多種多様な言葉の器を丁寧に鑑賞し、

日々丁寧に詰めて行く。

 

2025年はそんなことも意識して、

創作作業に取り組みたいと考えています。