2024年をアートで振り返る
今年も残りわずかとなりました。
皆様、どんな年をすごされましたか?
私はアートに元気づけられた年だった気がします。
「アートは人智をこえた
崇高なものであってほしいと願うものだが
実は私たちの中にすでにあるものだ」
以前にもブログでご紹介したこともある
MoMAの研究員のアメリア・アレナスさんの
この言葉が今年はずーっと自分の中心にありました。
未知の領域が自分の中にまだまだあるなんて、
元気が出ませんか?
よく思い出すワンシーンがあります。
ヘレン・ケラーを描いた『奇跡の人』という映画の中で
溢れ出る井戸水に触れたヘレンが
水という概念を知り
「ウォーター!」と言葉を発するのです。
脳内のシナプスが繋がり
情報伝達が行われた瞬間ですね。
溢れ出す水をはじめて認識するような経験。
アートの秘めた力は「それ」だと思います。
そんな脳内革命はあったかな?
というわけで今年印象に残ったアート体験を
ご紹介させていただきます。
2024年は数多くの美術展や芸術祭、アートフェアを鑑賞しました。
全ては紹介しきれませんが
感動した展示の一部をご紹介させていただきます。
2024年8月11日
ディミトリス・パパイオアヌー『INK』
新見の井倉洞と岡山芸術祭の特別な体験
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内藤礼「生まれておいで生きておいで」
(東京国立博物館)
2024年8月11日
大空間からミリ単位の配置にまで
神経を研ぎ澄ませて
慈愛を表現するとはこういうことだ!
そんな閃きがありました。
東京国立博物館で開催された
内藤礼さんの美術展での感動の余波は
数日消えることなく続きました。
力強く、大胆な大型作品に
出会ったことはあったけれど、
優しく、静かで、
どこまでも肌理の細かい粒子が
大きな室内を埋め尽くす様を
感じたのはこの時が初めてでした。
何を表そうとしているのか、
正直、皆目検討つかず。
そこで展示の配置、光、色、形を
そのまま受け止めようとしました。
しばらくして、
むむむ...
太古昔何者かが創った常設展示物たちが、
内藤さん作品を囲むように置かれており、
内藤さん作品の展示室は
まるで御嶽のように存在している。
その御嶽の神聖さは、
とても言葉では言い表せない。
展示室から展示室へ移動する途中、
常設展示物への視線が
みるみるうちに変わるのを感じました。
誰かが手塩にかけて創ったものたちなんだ。
どんな思いで作ったのだろう。
私の勝手な解釈なのですが、
東京国立博物館にある
縄文の土器をはじめ先人たちの手塩にかけた品々それこそが作品の主体だと、
内藤礼さんは伝えたかったのかな。
昆布水をひと月飲み続けて味覚を養うように、
内藤さんの作品を見続ければ
養われるものがあるのは間違いない。
独り静かにやってみたい。
独り静かに、これがポイントな気がします。
心のひだ数ゼロひとつ単位が違うくらい、
繊細な要素を表現しながら、
それが大空間に広がっていく。
そんな宇宙すら感じた展示でした。
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ディミトリス・パパイオアヌー『INK』
(京都ロームシアター)
2024年1月23日
京都で鑑賞しました。
東京公演はなく、京都のみ!
文化庁が移転したせいか
芸術関係は関西の方が熱い気がしてます。
さてこちらの舞台は
言葉のない身体表現の世界です。
平面や彫刻と異なり、
時間と空間の中で刻一刻と変化する
「動く彫刻」なる芸術作品なのですが、
観る者の心に直接触れる力強いアートとして、
この作品ははずせないとおもいました。
ディミトリス・パパイオアヌーの『INK』は、
舞台表現の奥深さを体現した作品です。
彼は自国のギリシャ神話や古代の象徴を
現代に呼び戻しながら、
舞台を詩的で哲学的な空間に仕上げています。
大量の水と光が織り成す舞台美術、
彫刻のように研ぎ澄まされた肉体表現。
全裸の肉体美に照明が当たった時、
古代ギリシャの世界にタイムスリップした心地でした。
二人の演者が登場し、
そのうちの一人はディミトリス自身。
舞台上で見せる二人の関係性は、
愛と葛藤そのものです。
性別や文化、時代を超えて、
愛とその葛藤がどれほど
普遍的で自然なものであるかを感じさせる。
まるで古代から語り継がれてきた
神話の物語が、
現代に再現されたかのようです。
古代ギリシャでは
全裸でオリンピックの競技が行われ、
あたりまえのようにあった師弟の濃密な距離。
赤裸々な人間の姿をみている心地です。
愛とは何か、関係性とは何か、
人間の本質とは何か
という問いはやがて
人間を讃える舞台空間にまで
到達していました。
『INK』では「踊り」という
枠を超えた身体の動きそのものが、
詩であり言葉であり、物語です。
ダンスを観ることに慣れている方も
そうでない方も、
その空間に心身を委ねれば、
新たな気づきや問いを得られるはず。
そんな舞台芸術でした。
ちなみにディミトリスさんのinstagramを覗いてみると、
彼の創作の背景が何となく伝わってきて、
作品をひとまわりも二回りも
大きく楽しめるのではないかと感じます。
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新見の井倉洞と岡山芸術祭の特別な体験
2024年11月23日
幼稚園の頃、
体育専攻の大学生が段ボールで作った
「暗黒への旅装置」(勝手に命名)に
入った時のこと、
狭い通路を手探りで登りくねり進む
あの体験は、私にとって衝撃的でした。
周囲には友達や優しいお兄さんお姉さんがいて、
安全な環境下で味わったとはいえ
一瞬の暗黒の衝撃。
その時、暗闇は
無限の広がりを持っているように感じました。
場所は変わり、
ここは岡山芸術祭の舞台のひとつ
新見市の洞窟「井倉洞」。
全長1,200メートル、
高さ90メートル、
所要時間約45分のこの洞窟が、
普段の照明をすべて切った状態で公開され、
数名のはグループで中を進むのです。
ワクワクを超えて恐怖すら覚える状況。
そんな中、岡山芸術祭では、
アルバニア出身のアーティスト、
アンリ・サラが
「Future is a faded song」という作品で
特別な体験を提供しました。
暗闇の中を、
照明と音響を駆使して進むこの作品は、
聴覚と視覚が交錯する
感覚的な没入体験を与えてくれます。
最後にアンリのインスタレーションが投影される予定だったようですが、
天候による故障で鑑賞できず残念でした。
現代アートの定義は多様ですが、
人間の中にある感覚の扉を開くことも
その一つだとすれば、
この作品のコンセプトは見事です。
難解な解釈を必要とせず、
大人も子供も楽しめるアート体験。
それでいて、
アートがもたらす力を存分に感じられる。
なんといってもスケールが大きい!
この点が本当に素晴らしいと感じました。
特筆すべきは、
日本でこのような体験が許可された
という事実です。
ある意味、
日本のアートへの関心の低さが、
規制をすり抜ける助けになったのかも
しれません。
この点には皮肉も感じつつ、
こんなレアなチャンスこそ逃さずに
多くの方に体験してほしいと思いました。
一方で感動ひとしおだったからこそ
悔いが残る点もあります。
グループでの進行が、
初対面の外国人の青年によって
スムーズに行われたものの、
言葉のやり取りが少なく、
立ち止まって空間をじっくり感じる余裕が
ありませんでした。
また、スタッフの対応も混乱気味で、
鑑賞者に「特別な空間を味わうヒント」を与えるような
言葉がけはありませんでした。
暗闇の中の想像以上にハードなコースを
必死になってクリアしようと試みるため、
初めて洞窟に入った鑑賞者は
心の余裕がないのではと思いました。
「普段味わえない感覚を楽しんでください」
「一度立ち止まって空間を感じてください」
などの簡単な言葉がけがあるだけで、
作品の魅力がさらに伝わったのではないかと悔やまれます。
加えて、新見は交通の便が悪い
という点で時間に追われる原因
となった気がしています。
実際に私は2、3度みるべきだった
と後悔していますが、
時間に余裕はありませんでした。
日本における現代アートや芸術祭の普及には、
こうした交通アクセスの問題解決も
課題の一つだと感じました。
それでも、この作品は非常に印象的でした。
「Future is a faded song」
もう一度体験したいです。
洞窟の大きさを音の反響から感じ取り、
暗闇の滝の音をじっくり味わいたかった。
何よりも恐怖を再確認する時間も持ちたかった。
後ろ髪を引かれる思いも含め、
心に深く残る体験となりました。
こんな感じです↓
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DIC川村記念館
ロスコルーム
2024年4月12日
川村記念美術館が閉館するというニュースを聞いたとき、
私は大きなショックを受けました。
「ロスコルーム」という特別な展示室があり、
美しい庭園と共に
その環境が変わってしまうことに
抵抗を感じています。
そんな思いも込めて、
今年のナンバーワンアート体験は、
マーク・ロスコの絵です。
デザインを生業とする私にとって、
「色彩」は創作の根幹にあります。
鮮やかな色、絶妙なグラデーション、
そして宇宙の果てからやって来た色に触れるたびに、
心が震える瞬間があります。
色彩が与える影響は決して侮れません。
時にはその色彩が、
翌日のデザイン案に直結することも少なくないのです。
私が色の力に初めて目覚めたのは、
20代の頃に
ニューヨークのMoMAで
ロスコの絵とモネの睡蓮を
ぼんやり眺めたときでした。
その頃の私は
アートの知識などほとんどありませんでしたが、
ただただ色彩の力に魅了され、
長い時間その前に立ち尽くしていました。
色そのものが持つエネルギーと、
それを全身で受け止める感覚。
その体験こそが、
今もなお私をアートに
引きつけている理由なのだと思います。
そして、川村記念美術館のロスコ・ルーム。
この空間については以前ブログでも触れましたが、
薄暗い部屋に飾られた
7枚のロスコ作品に身を置くと、
その色彩の圧倒的な
存在感に引き込まれます。
椅子に腰を下ろし、
静かに絵を眺めていると、
最初は単調に見えた色が
徐々に層を成し、
奥行きを感じさせてくれます。
色は体内に染み込み、
ときには湿度や温度、
音を伴って体感として
記憶に刻まれるのです。
そうした意味で、
私の記憶の一番奥底に
深く染み込んだのは、
マーク・ロスコの絵でした。
あの空間と色彩の力は、
私の心に深く響き、
これからも
創作の原動力となり続けるでしょう。