[ART WATCH] ブルータリズム、南方にて
先週末、沖縄県立博物館・美術館「おきみゅー」を訪れた。
その建築の美しさに思わず立ち止まった。
むき出しのコンクリートが空へまっすぐに伸び、
線形の構成は琉球のグスクのような凛とした存在感を放っていた。
… ブルータリスト!
装飾を削ぎ落とし、素材そのもの——とくに剥き出しのコンクリート——によって構成された、
無骨で純粋な建築様式のこと。
最近の映画『ブルータリスト』を通してこの言葉を知ったばかりだったので、
少しばかり興奮する。
1950年代、戦後のイギリスでアリソン&ピーター・スミッソン夫妻が実践した建築スタイルを、
後に建築評論家レイナー・バンハムが「ニュー・ブルータリズム」として定義づけたと言われている。
若かりし頃の私にとって、“打ちっぱなしコンクリート”のスタイルは、
未来的でとにかくかっこいいものだった。
90年代の空気、無印良品の台頭、ミニマリズムの浸透——装飾よりも構造そのものに美を見出す感覚が、まさに時代と共鳴していた。
(コンテンポラリーダンスの世界でも、“脱構築”なんて言葉が行き交っていたなあ。熱い時代)
さて、私は「おきみゅー」の建物をみてあることに気づいた。
沖縄の街並みはコンクリート建築が多くないか?
いわゆる、私的に言う“未来派かっこいい建築”が、あちこちに点在している。
調べてみると、沖縄の風土はコンクリートとの相性が良いとのことだ。
沖縄県立美術館のみならず、沖縄県庁舎(旧庁舎)や沖縄キリスト教学院(1967年頃)も
ブルータリズム建築として有名らしい。
ただよく見ると、街中のコンクリートの建物は少し黒ずんでいたり、
苔をまとっていたりする。
あの“未来派”が、いつの間にか歳をとっているではないか。
いやはや、もうこんなに時間が経っていたんだ。
かつて“最新”だったスタイルが、気づかぬうちにクラシカルな表情を帯びているよ。
建物は街と自然に馴染み、独特の空気をつくっており、
その経年変化さえ、味わいに感じられる。
一方で、「ブルータリズム」という言葉の背景を知るにつれ、
別の視点が立ち上がってきた。
この街の建物は一度壊されたのだっけ。
戦争によって、風光明媚な趣は文化ごと破壊されてしまった。
やがて復興の中で、本土からの制度や様式、そしてバブル期の“最新”が勢いよく流入してきた。
ブルータリズムの建築群は、その痕跡でもある。
とても複雑な思いで胸いっぱいになった。
2025年6月23日、戦後80年目の戦没者追悼式に参列した。
祈りの場から街へ戻り、あちこちに見られる剥き出しコンクリートの建物。
それが、時代の層を静かに語っていた。
そして、映画『ブルータリスト』主人公ラスロー・トートが、
長年かけて設計したコンクリートの建築。
部屋は監獄のように狭く、だが天井は異様に高く、天窓からは空だけが見える——。
その建築物は彼にとってのホロコーストへの無言の主張だったのだ。
映画の中で、ラスローの家族はこう語っている。
「その無骨で高くそびえるホールとコンクリートのフォルムは、私たちの家族をホロコーストの間に閉じ込めたブーヘンヴァルトやダッハウの収容所を意図的に反映しています。これは単なる建築ではなく、集合的記憶の器なのです。私たちは、過去が梁や壁、何気ない廊下のひとつひとつに宿り続けるようにしなければなりません。」
ブルータリズムの美学は構造・素材・配置が優先されるため、
建物に「顔」がない。
だからそれをどう使い、どう見るかによって、
自由にも抑圧にも見える鏡となる。
社会主義の集合住宅にもなり、静謐な石庭や壮観な美術館にもなる。
そして監獄にもなる。
沖縄のブルータリズム建築もまた、無言のまま、
この島が経験した破壊と再生の記憶を閉じ込める器になっている。
装飾を削ぎ落とし、素材そのものの姿で立ち上がっているからこそ、
人々が自分自身の記憶や感情をそこに染み込ませていけるブルータリズム建築。
私が見た沖縄の建物には、苔や蔦などの自然がやさしく建物を包み、
シーサーが睨みをきかせて玄関に鎮座しており、
人が平和を願いながら住む“場所”としての建築の気配が確かにあった。